第23話「不倫カップルの功績って...?」



「まず、この話しは、オランダ人が移植に成功した、ジャワから始まります。

 1706年、ジャワのコーヒーの若木がアムステルダム植物園へ移植され、さらにその植物園から苗木がヨーロッパ各国の植物園に移植・紹介されました。

 この段階では、植物園で鑑賞したり、生育を調査したりというレベルのやり取りやったと思いますわ。ところが、オランダがスマトラ、セレベス、チモール、スラウェシ、バリなど次々に植民地での栽培範囲を広げるのを見て、うらやまし〜い...と思っていた国がありましたんや。

 それは、フランス。

 アムステルダム植物園からパリの植物園ヘ移植して、苗木を育て、フランスの植民地でコーヒーを栽培しようと目論んだ訳ですナ。

ところが、なかなかうまくいかしません。

 でも、とうとう1714年、アムステルダム市長からルイ14世に謙譲された素晴しい一本の若木を、植物学者に管理をさせて、植物園ジャルダン・ド・プラントに移植させることに成功しよりましたんや。

 やっぱり王様に謙譲されるぐらいの木は、優秀な木やったんやろかネ〜?

 この木は<ノーブル・ツリー>と呼ばれていて、後のフランス植民地、特に中南米コーヒーの原木となって現在の一大コーヒー生産地帯へと発展するきっかけとなった重要な若木やったわけや。

 この若木の木の種から育てた苗木をフランス領のアンティル諸島(西インド諸島の一部、現在のジャマイカ、キューバ、バージン諸島など)へ輸送しようと2度にわたって試みられたけど、失敗に終わってます。

 当時フランスからカリブの島までの航路は、嵐や海賊など想像を絶する危険な旅だったわけですわ。

 この危険な航海を<ガブリエル・マチュー・ド・クリュー>という若き海軍将校が生し遂げました。

 彼の功績を伝える物語はコーヒー伝播の歴史上最も夢多き一章として語り継がれてますねや!資料 オール・アバウト・コーヒーから、その部分を引用してみましょう。」

 ラッキーはいつもの要領で壁に当時のクリューが船で苗木の世話をしている情景を写し出して、なぜか標準語で解説をしてくれた。

 


航海途上のド・クリュー

クリューはカリブの島マルチニック島で歩兵隊長を務めていました。
私用でフランスへ帰っていた彼は、カリブへ戻る時にコーヒーの苗を持って帰ることを考えつきました。

しかし、当時のフランスでコーヒーの苗は非常に貴重品で、厳しい管理下におかれていました。

苗木を手にいれるために彼は、王様の典医のド・シラクの助けを借りました。
彼は、ド・シラクが断わり切れないある高貴なご婦人の口利きで、苗木を手にいれました。

1723年、苗木を持って、ナント港から出航しました。

チュニスでは海賊に襲われ、なんとか難を逃れると次は嵐に翻弄され、やっと嵐を乗り切ると、幾人かの乗船客に略奪されそうにもなりながら、苗木を守り続けたクリューでした。

そんな彼にとって最大のピンチは予測しなかったひどい凪でした。

飲み水の蓄えがほとんど底をつき、残りの航海の為に量を制限して配給しなければならなくなりました。

クリューは当時の様子を次のように述べています。

<水が不足し、一ヵ月以上にわたって割り当てられたわずかな水を私の希望の源であったコーヒーの木と分かち合わなければならなかった。
その木はまだ若く、成長が止まりかけていたので、さらに手を掛けて世話をしてやらねばならなかった。>

彼のこの献身的な行為は、彼の名を輝かせ、多くの逸話を生み、詩に謳われて賛えられました。

 マリチニック島についた彼は、プレシュールという中州に苗木を植えました。

 その地でコーヒーは順調に生育し、1726年には最初の収穫を得ることが出来ました。


「...という訳やね。わかった?」

「良くわかったよ。若き一人の海軍将校の功績があったからこそ、フランスが中南米におけるコーヒー植民地作りの実権を握る事が出来たという訳だね。」

「そういうこっちゃな。18世紀に入ると中南米や西インド諸島でも活発にコーヒー栽培が行なわれるようになっていったわけやけど、もっともコーヒーの生育条件を満たした理想的な場所にはその栽培がまだ伝わってなかったんや。どこや思う...?」

「それが、ブラジルだね?!」

「ピンポ〜ン! そう、ブラジル。
 日本人がコーヒーといえば思い出す、ちょうど地球の裏側の国でんな。
 このブラジルにコーヒーを伝えた歴史は、ラブロマンスとして伝えられてます。」

「不倫カップルの話...?」

「せやね。まあ、コーヒー大国ブラジルのきっかけになったエピソードとして語り継がれている有名なお話しやさかい、タカシも知っといた方がよろしやろな。

それは、こんな話やねん......

 1700年代始め、フランス領ギアナではコーヒー栽培が大変盛んになってました。
 ギアナはブラジルの北の方やね。

 ギアナではコーヒーの持ち出しは厳重に禁じられ、禁を犯すものは死刑。
 とても入手できるしろものではなっかたわけや。

 そんなとき、1727年、ギアナ国境をめぐってドイツとフランスの間で紛争が起こったんや。

 その紛争解決のために当時のブラジルの南の方・ポルトガル領グランパラ州から沿岸警備隊の副隊長フランシスコ・デ・メロ・パリエッタが派遣されたそうや。

 ポルトガル領のグランパラ州の知事はパリエッタにこんなふうに命令しよった。

 <軍事的任務の他に、ギアナからコーヒーの苗木を持ち出し将来のブラジルの輸出産業に貢献すること。>

 さっきも言うたけど、ギアナからコーヒーを持ち出すなんて命懸けの仕事や。
 そう簡単に持ち出せる訳がなかった。

 ここで、何が起きたと思う...?

 人間何が幸いするかわからへんけど、とにかくこのパリエッタが成功したのは、彼がいわゆるイイオトコだったことが勝因みたいやねん。

 つまり、男前でスマートで社交術に長けていたパリエッタは、高官婦人の人気の的となり、いつしか美しいカイエンヌフランス代理総督婦人との間に灼熱の恋が芽生えてしもたねん。

 彼は、恋する婦人にコーヒーに関する重大な使命を打ち明けて、協力を求めたんやな。」

「小説みたいな話やね。それで、どうやって苗木を手にいれたの...?」

 おもわずタカシは先を急いでしまった。なかなか面白そうな話である。

「まもなく無事調停が成立し、フランス総督による別れの晩餐会が盛大に催されたんや。
 多くの着飾った来賓の拍手を浴びて別れを惜しみつつ総督婦人から彼に大きな花束が贈呈されました。

 なんと、この花束のなかに5本のコーヒーの苗木が隠されていたという結末。

 こうして、婦人の思いはコーヒーに託されてブラジルで無事開花しました、メデタシメデタシ。」

「なるほどネ〜。
 じゃあ、パリエッタがモテナイ君だったら、コーヒー栽培の歴史は違ったものになっていたという訳か...?
 それなりの歴史を紐解くと、なかなか面白いもんだね。」

「さあ、ちょっと遠回りしてしもたけど、いよいよ日本上陸でっせ。
 日本に向かって一直線や! マンデリン号にはよう乗って乗って!」

 

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