第15話
現存する最古の喫茶店!それはかの有名なフローリアン
でも、本当の名前は違っていた...?


現在のサン・マルコ広場

「ねえラッキー。ここはどこ?いつの時代?」大勢の人で賑わう美しい広場に私は来ていた。

「時代は1720年、サン・マルコ共和国の中心サン・マルコ広場ですな。
ほら、あそこのコーヒーハウスの玄関に看板を掲げようとしている男がいてるでしょう...。
あそこは、新しい行政長官邸の下にあたり、今日オープンするところですわ。
彼の名は、フロリアーノ・フランチェスコーニ。愛国心に満ちた、い〜い男です。
ちょっと、話しを聞いて見ましょう!」

「『ヴェネチア・トリオンフォンテ(勝ち誇るヴェネチア)』どうです?いい名前でしょう!
キプロスもクレタも、そしてとうとうペロポネソスもトルコに占領されてしまった。残念だね〜!
しかし、ヴェネチアはこんなことじゃ〜終わらせないよ!
もう一度16世紀のような華やかなヴェネチアを願って俺様が命名したのさ!」
誇らしげにフロリアーノ・フランチェスコーニは言った。

この男この時には、このコーヒーハウスが「カフェ・フローリアン」として21世紀までも営業を続ける世界的に有名な店になることなど知る由もなかったのである。
その後、コーヒーブームに沸くヴェネチアでは、サン・マルコ広場の周りの店のほとんどすべてがコーヒーハウスに変わってしまうほどになって行った。

サン・マルコ広場


当時のヴェネチアのコーヒーブームを端的に表わした、喜劇作家カルロ・ゴルドーニの

<コーヒー店>
という作品の1シーンを紹介することにしよう。


「一歩前へ!いいか、一生懸命やること。礼儀正しくし、スピーディーなサービスを心がけること。カフェの人気はボーイの出来に大きく左右されるのだからな。」

「分かります。しかしご主人様。正直に申せば、朝早く起きるのはけっこうきついのですが...」

「だが、やってもらわぬ訳にはいかん。絶対早起きしてくれ。
 朝方は旅人も労働者も船員も漁師も来るからな。」

「本当に大笑いしてしまいますよね!今じゃ〜労働者までコーヒーを飲みに来るんですから。」

「誰でも回りの人のまねをするのさ。前は焼酎がブームだったが、今やコーヒーコーヒーだ。
 うまいものが好きというのは悪徳だが、その悪徳は年々大きくなっていくのさ!」


「ゴルドーニはこの喜劇をヴェネチア・トリオンフォンテでも上演してんねん。
当時のカフェの店主は、あんまり立派な商売と見られてなくて(無許可の賭博や売春斡旋等を行っていた店主もいたから)コーヒー好きのゴルドーニは店主の身分を保証するためにも積極的にカフェで上演してたみたいでんな。」

「いつから、フローリアンという名前に変わったの?どうして変わったの?」
私は気になっていた。

「それじゃあ、40年後の1760年に行って見ましょう」ラッキーはそう言ってマンデリン号に乗り込んだ。

現在のフローリアン入り口

1760年、コーヒーハウスヴェネチア・トリオンフォンテの中で...

「はっはっはっ!やはり、ここが一番。さあみんな、第2号のアイデアを出してくれ。」

「あの声の大きい男が、編集長のゴッツィです。編集会議の真っ最中といったところでしょうな。彼の雑誌『ガセッタ・ベネタ』がその第1号で『カフェ・フローリアン』(当時お客はヴェネチア・トリオンフォンテの事をすでにこう呼んでいた)を絶賛し、スタッフを会社の編集部よりもここカフェ・フローリアンへ集めたことが、ここが決定的に流行るきっかけになったんですわ。マスコミの力はいつの時代もすごいでんな〜。
 せやけど、みんながカフェ・フローリアンと呼んでいたとしても、ここの正式名称はあくまで「ヴェネチア・トリオンフォンテ」でした。しかし、とうとう、正式に改名しなければならない日がやってきます。」

「それは、いつ?なぜ?」早く教えて欲しいのに...はやく!

もったいぶって、ラッキーは話し始めた

「時は西暦1797年。すでに1773年、創始者のフロリアーノ・フランチェスコーニの後を、甥のバレンチノが継いで20年余りの歳月が過ぎてました。フロリアーノの願いはかなわず、ナポレオンにヴェネチアは占領されてしまうことになります。
貴族支配は終わりを告げ、バレンチノは「勝ち誇るベネチア」の看板を下げ、店の名前を公式に「カフェ・フローリアン(花のような)」と改名しました。改名せざるを得なかったんやろな〜?」

「なるほどネ〜。今も残るカフェ・フローリアンにそんな歴史があったんだね。
ところで、めっちゃくちゃ有名な芸術家や小説家がここに来て、作品のアイデアを練っていたって本当なんでしょ?早く、超有名人に会わせてよ!」フローリアン入り口

「もう、いい歳こいてミーハーなんやから。ここカフェ・フローリアンが名実共に世界的な名声を保持し続けたのは、単に有名人が訪れたというだけなんかじゃありませんでぇ〜。

ええですか! よ〜聞きや!!

 ここフローリアンはヴェネチア内外の幾百という人々にとって、信頼できる代理人あるいは知己の役割を果たし、世情を知る宝庫であり、便利な町の人名録として認められていた貴重な場所でしたねん。

ヴェネチアを去る人はフローリアンに名刺や覚書を残し、またヴェネチアを訪れた者もまずそこで会いたいと思う人々の消息を求めたというほどの、たいそうなカフェでしたんや!
どや?こんな喫茶店、日本にあるか?」

「あるか?って、時代が違うやん。せやけど、ようわかったわ。やはり、単なる喫茶店ちゅ〜訳じゃなかったって事だよね。それで、有名人は?」

「ほんまにもう...。誰に会いたいの?スタンダール?ロッシーニ?カノーバ?ジョルジュサンド?
マンゾーニ?トンマゼーオ?ベルシェ?.......だれがええの、ん?」

「ごめんごめん。そんなに怒らんでヨ。僕でも知っていて、現在に大きな影響を及ぼしている、そんな人にあってみたいんだ。」

フローリアン内の壁画「まあ、タカシでも知っている芸術家となると、バレンチノの息子パルデリによってフローリアンが大幅に拡張改装したあとの時代やろな〜?それまで、フローリアンは今のように美しくエレガントな喫茶店とちごうて、天井は低く地味で飾り気がなく、窓もなく、かすかな灯火がぼんやりと室内を照らすような、そんな場所やったねん。

パルデリは1850年、古めかしいものを全部捨てて、ヴェネチアで最高の芸術家と職人を呼んできてヴェネチアNO-1のカフェに改装したんや。

実は、今でも、その美しい絵画や壁や天井がとてもいい状態で保存されているのは、パルデリのあるアイデアのおかげなんだけど、以外と知られてないんやな〜これが。
もちろん、知らへんやろ?」

「........うん...。」口惜しいけど見当もつかなかった。今から150年も前のことである。フローリアン内の壁画

「実は、絵画や壁画を海の湿気を含んだ空気やたばこの煙から守るために、すべてをガラス板で覆い尽くすということを実行したの。すごいやろ。このおかげで、今も当時のまんまの雰囲気のなかでコーヒーが飲めるっちゅうわけやね......チョット高いけど。
(実際、約10000リラ。通常店の約5倍ほどもする)

室内(サロン)より広場に面したテラスの方が値段が高いみたいやなあ。
テラスでは、生の演奏が楽しめるようになっていて観光客に超人気や。

生演奏中のテラス

そして、改装後すぐに現われた有名人の一人に作曲家のワーグナーがおったな。かれは、毎朝ちょっとした朝食をとりに来ていたようやね。

有名どころを挙げると、フランスの文学者プルースト、アナトール・フランス、画家のモネ、マネ、ドイツ人ハイネ、ニーチェ、そしてオーストリア人リルケなどなど...まだまだいくらでも際限がないほどでんな!」

「地元イタリアの芸術家では誰が有名なの?」

「いっぱいいてるけど、特に名前を挙げるなら、ダンヌンツィオかな?」

「誰それ?聞いたことないよ」

「国際的美術展ビエンナーレやったら聞いたことあるやろ?カフェ・フローリアンで友達とわいわい激論を交し、世界的な美術展の必要性を熱く語り、今日のビエンナーレまで発展させたのがダンヌンツィオやねん。ここカフェ・フローリアンという場所から生まれた素晴しいアイデアが今に引き継がれている一つの例やね。ちょっとタカシには難しすぎたな。では、イタリアン・カフェのファンとして超有名な人物を訪ねることにしよう!この人ならタカシも知ってるはずだからね。」

マンデリン号に乗り込んだラッキーが命じた時代は1786年、場所はローマのカフェ・グレコ。

もうもうとけむるタバコの煙り。

なんと、そこにやってきたのは、一番有名なドイツ人「オリュンポス神:ゲーテ」だった。

 

一つ前へ

目次

第16話

イタリア滞在中の2年間、ゲーテも通ったカフェ・グレコ
スペイン階段の足元コンドッティ通りに面したそのカフェの魅力に迫ります。