第17話「フランスへのコーヒー伝播」



ラッキーとタカシを乗せたマンデリン号は、美しき地中海の街<マルセイユ>へ到着した。

 

マルセイユ

 

「フランスへ来るのは始めてなんだけど、どうしてパリじゃあなくてマルセイユなの?
 それと、マルセイユって、フランスのどの辺になるのかなあ?
 実際フランスと聞くと、良く知っているようでパリとエッフェル塔とルーブルとワインぐらいしか思い浮かばないし、地理的なことがさっぱりわからへんわ?」

「なんや、タカシも大阪弁がちょっと入ってきたんちゃう?
 まあええわ、たしかにコーヒーロードの確認の為に、地理的な事を確認するのは大切やから、簡単な地図を見せたげるわ。」

そう言うと、ラッキーは壁に向かって目から光の帯を照らし出した。
壁には解りやすい地図が浮かび上がった。

「すごい機能がついてるんやね! 尊敬するわ!」

「そんなことより、よう見て勉強しいや!
 ええですか? 陸路が発達していなかった当時、主流はやっぱり海路でしたんや。イタリアに始めて伝わったのが海沿いのヴェネチアであったように、ここフランスでも多くの情報や物品を扱い、海外に簡単に行くことが出来たんはマルセイユ商人やったわけでんな。」

「なるほど、なるほど。」すなおに納得してしまうタカシだった。

「コーヒーを最初にフランスに伝えた人は<幸福なアラビアへの旅>を著わしたジャン・ラ・ロックの父の P・ド・ラ・ロックと言います。彼はフランスのトルコ大使M・ド・ラ・エイに随行してコンスタンチノープルに赴き、その後レバントまで足をのばしてます。
 そして1644年少量のコーヒーと共に当時フランスでは非常に珍しかったトルココーヒーの器具一式を持ってマルセイユに帰りましたんや。」

「なるほど、良くわかったわ。
 それで、その後だれが沢山のコーヒーを輸入したり飲んだりするようになるの?」

「やっぱりコーヒーを飲むという習慣を外国の生活で経験していたマルセイユの商人たちやった。
 彼等はレバントでの生活を経験してて、コーヒーが生活の必需品となるのを知っとった訳や。
 1660年頃、薬屋とその他の商人がグループを組んでまとまった量のコーヒーをエジプトから輸入したのが商業輸入の始まりと言われてます。
 その後、リヨンの商人たちもこれを聞きつけ、同様にコーヒーを扱うようになり、コーヒーはマルセイユ、リヨンを中心にフランス全土へ広がって行くようになったというわけやね。

ほら、あそこの両替所の近くに沢山の人で賑わっているところがあるやろ。商人や旅行者に大人気となったあのコーヒーハウスが最初のコーヒーハウスで1671年にオープンしてます。」

「なるほど、やっぱり海外からの情報に長けていて商売感のするどい商人たちが仕掛人やったわけか?」

「そうやね。こんなふうにしてコーヒーはパリまで広がることになるんやけど、もう一つパリへの伝播に関しては重要な史実を忘れる訳にはいかんやろなあ〜?」

「それって?」

「実はトルコのコーヒーセレモニーを直接当時の国王に伝えたトルコ人がいますのや。

 名前は<ソリマン・アガ>

 1669年7月、トルコのモハメド4世の命令を受けてトルコ使節としてパリの宮廷にやってきました。
 ルイ14世に謁見し、トルコ式のコーヒーとコーヒーセレモニーを披露した訳ですわ。」

「なるほどね。東洋の神秘的な衣装に身を包んだ召使が、錦繍の敷物の上を金色に輝く器に入った熱い香りたつモカ・コーヒーを恭しく運び、それを礼法にしたがって賞味するなんて、当時のフランス上流社会の人たちの好奇心を最高にくすぐったというわけやね。」

「せや、なかなかタカシも解ってきたやんか。
 こうしてフランスでコーヒーは徐々に市民にまで浸透していく訳やけど、実際フランス文化へ大きな影響を与える程のコーヒーハウスが出来るまでには、これからあと20年もの月日を数えることになるんやけど...
 その話しは、その当時のパリに行ってから話したほうが良さそうやね。

 さあ、マンデリン号に乗って。目指すは18世紀、パリのサン・ジェルマン通りでっせ!」

 

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さてさて、ラッキーが向かったサン・ジェルマン通りには、
何がそして誰が待ち受けているのでしょうか?      
第18話は、元祖豪華なフランスコーヒーハウスを訪れますよ!