第37話「津山洋学資料館その2」


「すいません、岡山の県立図書館で教えていただいて訪ねてきたのですが......」

私達以外に見学者はなく、それほど忙しそうな様子でもなかったので、先ほどの受け付けの女性に聞いてみることにした。

私は県立図書館でコピーしていただいた『近代科学をひらいた人々』-岡山の洋学者-の1ページを見せながら、宇田川榕庵の書いた「哥非乙説」について調べに来た事を説明し、協力をお願いした。

一通り私の目的の説明を聞き終えると、奥の席にいた初老の男性が受け付けの女性にこう話しかけた...

「たしかだいぶ前じゃけど、**君が友の会のコラムにコーヒーについて書いとったことがあったろう...? 見たことねえ〜かな〜##さん?」

「そうですね〜........ あっ、ちょっと待ってて下さい。捜して見ますから...」

私に向き直ってそういうと、係の女性は席の後ろの戸棚を捜しはじめてくれた。

「これなんですけど...」 と、一冊の会報誌のようなものの、あるページを開いて手渡してくれた。

『友の会だより-第5号 洋学コラム 「珈琲について」 下山純正』 と書かれたページだった。

「今日はこれを書いた学芸員がお休みなので詳しい事はわからないんですけど、なにかありましたら調べますから何でも聞いて下さいね...」

「ありがとうございます。じゃ〜ちょっと見せていただきます」

 
そう言って渡された冊子を持ってカウンター越しの資料室の机に向かった。

コラムの概略はこんなふうだった...

宇田川榕庵
宇田川榕庵
「洋学史辞典」日蘭学会編、 雄松堂出版より

津山藩医宇田川榕庵の初期の試作に「哥非乙説」があります。
榕庵は長崎の出島からはるばる江戸にやってきたオランダ人一行を、宿舎の長崎屋に訪ねていますが、その時コーヒーを勧められたのでしょうか?
当時、江戸参府にきたオランダ人たちは旅行中調達の難しい食料品として、ブドウ酒・バター・燻肉・塩肉・砂糖・焼菓子・甘菓子などを持参していましたが、コーヒーもその中の一点だったのでしょう。
当然榕庵もコーヒーについて何らかの知識は持っていたでしょうが、香ばしい独特な色合いの飲み物を目の前にして、暫し戸惑ったに違いありません。だが、好奇心の塊がごとき榕庵先生は、必ず飲んだでしょう。
厚生新編28巻の雑集として、大槻玄沢と宇田川玄真が訳校している哥非乙の文中に、宇(田川)榕庵の考えとして次のように記されています。
『わが国のぢ志ゃの木、ウエキヤの呼ぶところのエゴノキと図で見る哥非の木は形状が甚だよくにており、味淡泊、微甘、油気多く、西船上の「コーヒーボーン」に異ならず、但ぢ志ゃの木の葉は、互生するが、「コーヒー樹」はしからざるを異とする。』



「なかなかいい資料がみつかったやんか!」とラッキー...

「そうだね、このコラムからわかったことは......まとめてみるとこんな感じかな?

  確かに宇田川榕庵は、哥非乙説を書いている。
  江戸参府に来たオランダ人一行を長崎屋に訪ねている。
  オランダ人達は調達の難しいコーヒーを持参していただろう?
  おそらく榕庵は、そこでコーヒーを体験しただろう?
  厚生新編の雑集として、大槻玄沢と宇田川玄真が訳校している哥非乙の文がある。
  そこに宇田川榕庵の考えとして、記述してある文章がある。
  その文章の中に<味淡泊、微甘、油気多く>と、榕庵の飲んだ感想と思われる記述がある。

 どうだいラッキー、これから順番にこれらを確認して見たらどうだろう?」

「せやね〜...事実部分と想像の域を出ない部分がごちゃまぜやさかい、納得がいくまで確認して見たらええと思うわ!」

「よ〜し、じゃ〜せっかくここまで来たんだから、まず<哥非乙説>や<厚生新編>の哥非乙に関する部分の資料を見せてもらおうか?」

もう一度受け付けの女性の所に行って、哥非乙説や厚生新編の哥非乙に関する資料の閲覧をお願いして見た。

しばらくすると、大切そうに紙に挟んである資料を抱えて持ってきてくれた。

「これが厚生新編の原書なんですけど、いろいろな資料館に保管されていまして、お尋ねの哥非乙の部分はこちらにはないようです。関係ない部分でしょうけど、参考に見ててください。」

そろっと机に置かれた資料を見るため、慎重に挟んである紙をめくってみると...

「うわ〜、すごい虫喰いの穴だらけやね〜 けど、えらい年代もんでっせ! 貴重な資料やな〜!」

「筆を使って墨で書いてあるから、なんとなく昔のにおいがするようだよ!」

いくぶん興奮ぎみにやり取りをした私達だったが、その資料に書かれていることは何も解読できなかった。

 

「原書ではないんですが、コピーがありましたので見てください。」

係の女性がそう言って、次の資料を持ってきてくれた。


「厚生新編」宇田川玄真、宇田川榕庵、大槻玄沢訳編より

「これこれ!これが厚生新編の28巻の哥非乙の部分や! けど、いっぱい書いてあるなあ〜」

「コーヒー博物誌で伊藤博先生は、厚生新編について、こんなふうに書いてはります...」

ショメールの「家事百科辞典」の仏文原著のオランダ訳書「ホイスホウデレーキ・ウォールデンブーク」は幕府の最も重視する資料の一つで、1811年(文化8)から1845年の幕末の作業中止まで34年間かけての翻訳活動の中心をなした。それが『厚生新編』である。
これには、高橋景保を長とし、大槻玄沢、馬場貞由、宇田川玄真、宇田川榕庵、小関三英ら数名の蘭学者を起用、1万6000ページに及ぶ幕府最大の翻訳事業を実施した。
『厚生新編』には医学・物理・化学・地理・歴史・芸術に至るまで西洋文化の全領域が網羅され、その第28巻に記されたコーヒーに関する項には、

*コーヒーの実、花、果実、精製法など植物学の内容。
*コーヒーの産地と栽培経路について。
*コーヒー名、品質、形態、管理など。
*飲用の歴史と伝播について。
*飲用による効果、正しい飲み方。
*煎り方、挽き方、抽出方法。

などが、詳細にわたって論述されていた。
以上のように、『厚生新編』に盛り込まれたコーヒーは全文一万語に及び、内容的には栽培から消費に至るまで、品質、流通、手法、保管、飲用、化学、健康、歴史の全てに関する膨大な資料である。
しかも全体的に見て、研究の進んだ現代の知識をもってしても、1、2の点を除けばほとんど問題ないほど、正確な内容で構成されている。

「どうしてそんなに詳しいのラッキー? 岡山の事は記憶にないはずじゃ〜ないの?」

「岡山の事として記憶されていないだけで、『厚生新編』としては情報があったわけですわ。
 宇田川榕庵先生のことも岡山の人間として登録されていなかっただけで、少しは情報が入ってまっせ!」

<なるほど、そういう訳か...>と、少し心強く思えたタカシでありました。

パラパラと難解な『厚生新編』の哥非乙に関するページをめくっていったタカシの手が止まった。

「あった、あった! これだよねラッキー!」

宇榕庵の文字

まちがいなく「宇榕庵の考」の文字が確認出来る!

この部分の翻訳は大槻玄沢か宇田川玄真によるもの、たしかに榕庵の考証として、淡くてかすかに甘くて油気が多いとする筆跡はあった。

 

大槻玄沢


宇田川玄真


「洋学史辞典」日蘭学会編、 雄松堂出版より

 

こうなると、どうしても榕庵直筆の『哥非乙説』が見てみたい!

待ちきれずに、遠慮もせず聞いて見た!

「榕庵が書いたとされる『哥非乙説』も、ここにあるんでしょうか?」

 


 

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岡山県立図書館でもらった一つのヒントを求めてやってきた津山で、
1800年代の前半に書かれた資料の中にコーヒーの味について書かれた
事実を突き止めた!たしかにこんな昔に岡山県人がコーヒーを飲んで
いた。そして、そのことを資料として記録してくれていた。    

次回、榕庵直筆の『哥非乙説』はみつかるのか?